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おんぢ若菜の会・畑中さんに聞く―八尾市農産物の歴史(調査・考察①)

おんぢ若菜の会・畑中さんに聞く―八尾市農産物の歴史(調査・考察①)

大阪府八尾市内で農家を営んでいる人口は結構な数を占めています。また、八尾市内にはたくさんの農産物が存在します。そこで今回は八尾市産の野菜についてご紹介したいと思います。

八尾市という土地に原点のひとつでもある、農業に一度興味を持ってみてはいかがでしょうか?

おんぢ若菜の会所属の農家・畑中さんに、今回、記憶がある限りの南高安地区での農業の歴史と、若ごぼうの魅力や活動内容について伺いました。

おんぢ若菜の会とは、平成13年に結成されたもので、地域の生活改善グループに所属していた専業農家の女性たちにより構成されています。「地元の農産物を地域の人に食べてもらいたい」という思いのものと、活動されています。

おんぢ若菜の会と畑中さん

地域の生活改善グループに所属していた専業農家の女性たちが結成した、おんぢ若菜の会とは、「地元の農産物を地域の人に食べてもらいたい」という思いのもと、活動をしています。

さまざまなイベントを展開しており「アリオ八尾ではJA主催で若ごぼうの品評会を行ったりしました」と畑中さん。そういった催し物などを行うことで、魅力を伝えているとのことです。

もちろん良さを発信するだけでは、浸透しないと考えたおんぢ若菜の会では、「食卓に若ごぼうが並ぶためには調理の仕方を教えるべきである」と思い、下処理の仕方、料理方法を若い世代に伝承しているとのことです。

そのほかでは、枝豆に関するイベントなども実施し、若ごぼう同様に魅力を発信しています。

そして今回、おんぢ若菜の会で精力的に活動している畑中さんに若ごぼう、八尾えだまめ、恩智いちごの歴史を記憶がある限りの話を伺いました。

若ごぼうやそのほかの野菜の記憶

若ごぼうとはキク科の2年草で、元々は国内にはないものでした。原産はヨーロッパからアジアにかけての温帯地方。中国から薬草として渡来されたといわれています。

平安時代には食用となり、江戸時代に野菜として全国に拡大し、大阪平野を南北に伸びる台地(上町台地)でたくさん作られていました。

大正時代には八尾市でも栽培が広がり、戦後は都市化の進展により大阪市内、八尾市西部ではつくられることはなくなり、現在の南高安地域での生産が中心となりました。

平成16年には12ha、321トンが生産されており、大阪府内ではシェア約7割を誇っています。府外では、四国、九州地方でも生産は伸びているとのことです。

八尾市内で若ごぼうが根強く残った理由について畑中さんは「上町台地から伝わってきたわけです。土や気候が合うことと、個人的な意見ではありますが、この地域の方々は根性がある方ばかりなので、(その精神力が生産を維持)残ってきたのだと思います」とのことです。

若ごぼうの時期が終われば枝豆というサイクルでつくられているそうです。各地方での出荷の状況については、「四国あたりは早めに出荷されます。八尾市は2月末です」。

考察と調査中の内容

今回は、若ごぼうを中心にお話をお聞きしたり、資料を頂戴することができたため、若ごぼうの起源となる部分が少し垣間見えました。

その他の農産物に関して

そのほかの農産物について畑中さんにお伺いすると、記憶がある限りのことを教えてくれました。それが以下の通りです。

八尾えだまめ


畑中さんが八尾市内に嫁いだときには、すでに枝豆は生産されていたそうで、昭和40年代には存在していた。

恩智いちご


恩智いちごは昭和30年代には競りが行われていた。『いちご狩り』に遠方からも電車で人が訪れていた。また、観光として宣伝広告もあったほどで、それを見た人が採りに来ていたいた時期もあった。

いちごより野菜の方が良いとなり、徐々にシフトした可能性がある。

今回の感想

八尾市内での若ごぼうの生産が盛んとなったのは大正時代であることが分かり、スタートラインに立てた状態です。南高安地域に限ってですが、『元々は誰が若ごぼうの種を持ってきたのか?』については、やや諸説ある可能性があるため、再調査が必要となりました。この件に関しては分かり次第、続報をお伝えします。まだまだ序章に過ぎないので、情報は薄いですが、ここから少しずつ話が紐づけられていけばと思います。

取材協力者

この企画は、農家であり河内物語の代表である服部充宏さんの協力のもと、進行しています。河内物語では、河内エリアの名産品をまとめた「河内ギフト」、茶吉庵内にある蔵サロンでは直売を行っています。ぜひ、Facebookへアクセスしてみてくださいね。

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