Johnnie通信では地域ネタ&食ルポマガジンをお届けしています

カネ筒農園に聞く―八尾市農産物の歴史(調査・考察②)

カネ筒農園に聞く―八尾市農産物の歴史(調査・考察②)

大阪府八尾市の特産物といえば、八尾えだまめ、若ごぼう、紅たでです。そして1950年代までは恩智いちごも存在したといわれています。

『ものづくりの街』と断言するのであれば、ものづくりの原点ともいえる農業にも目を向けるべきではないでしょうか?そこで今回は、八尾市農産物の歴史(調査・考察②)と題して、カネ筒農園の筒井昭男氏に話を聞きました。

簡単にカネ筒農園をご紹介

カネ筒農園は、長年、刺身の名わき役である『紅たで』を作っており、後を継いだ筒井氏は、多くのメディアでも取り上げられている有名人です。

最近では通販サイトにも力を入れており、生の紅たでだけでなく、加工品として紅たでシロップや、紅たでジンジャーソーダ、紅醤油、紅甘酢などを製造販売しています。さまざまな方向から魅力をアピールし、新たな需要開拓を目指しています。

紅たでの経緯について


八尾市久宝寺に紅たでの農家が急増した理由について伺うと「(たぶん)明治ごろ、久宝寺に農業普及員が養子にきたんです。その人がいろんな種を持っていて、それを親戚などに配ったんです。その1つに紅たでの種があったそうです」。

農家の悩みとして、農業は基本的に季節のものを育てて出荷するため、気候変動や自然災害に影響されると作物がダメになることがあり、収入が安定しないといいます。そこで不安なく稼げるようにと、農業普及員が持ってきた種のうち、大葉、パセリ、紅たでを通年採れるものに品種改良。この3種類が久宝寺で育てられるようになったそうです。「この3つを作ることで、安定した収入が得られるようになったわけです」。

年中、作ることができる農作物が完成したことで、それらを育てる農家は豊かになりました。それと同時に紅たで農家は『値崩れを恐れ』、「久宝寺だけで育てるように門外不出にした」といいます。その影響もあり八尾市内では、紅たでといえば久宝寺というイメージになりました。

表に出さないということについて「私が継ぎだしたときも『取材を一切受けるな』『役所や農協にも畑を見せるな』と言われていましたね。また、昔は20件ほど紅たで農家(筒井氏が継承したときは12件ほど、現在はごくわずか)があり、いくつかグループがあったのですが『グループ以外の者にも畑を見せてはいけない』と言っていましたね」と、鉄の掟があったとのことです。

出荷に手間がかからず、安定した収入が得られる紅たでですが、農家によって上手下手はもちろんあるそうです。しかし、仲間とはいえ畑を見せてくれません。そこで「(ある時期)電車の路線近くにある畑がうまく作れると聞いた人は、その畑を見るために電車に乗って何往復も車窓から観察していたらしいです。片道しか見ることができないため、戻っては見て戻っては見てを繰り返していたようです」と、電車賃を払っても見る価値があったようです。やはり上手な人なりのテクニックがあるわけです。

若ごぼうの八尾市発祥地

八尾市内での若ごぼうの発祥地は久宝寺とのことで、理由としてはシンプル。前述の農業普及員が持っていた複数の種の1つだったそうです。「恩智に親戚が居る農家が若ごぼうの種を渡して、最終的に山手の方で生産が盛んになったのだと思う」と話してくれました。

若ごぼうの生産地として南高安地域の環境が適していると考えられるようで、「久宝寺周辺は夏場は蒸します。でも山手は風の吹きおろしがあるし、土も若ごぼうにとって適していたのでしょう。恩智のエリアの方々が品種改良して、弓矢の矢のように若ごぼうをキレイに束ねて(やーごんぼの語源)、高く売れるようにしたわけです。すごいことです」。

今では若ごぼうは南高安地域で作られているものとして認知されていますが、こうしたルーツを探ると、人の縁と環境により作られていることが分かります。

また、この農業普及員は優秀な方だったらしく、「ある関係で農林水産省からの表彰を受けることになった農業普及員に同行した人が、『(普及員のことを)先生と言っている人たちがたくさんいて驚いた』と話していたらしいです」。

枝豆の考察


八尾といえば枝豆と認知されていますが、この経緯については「枝豆は一般野菜で、全国どこでも作られています。しかし、八尾市で生産されている農家さんたちは完熟で出荷されているので、味がほかとは違います。それもブランドのひとつですが、(たぶん)茨木市の中央卸売市場の初代社長が恩智出身らしく、その社長が『こう作ってくれ、あぁ作ってくれ』と頼んだりしたのではないか?」と考察してくれました。

考察と調査中の内容

今回、筒井氏に話を聞いたことで、さらに具体性が見えてきた気がします。

・紅たでは、明治ごろに農業普及員が持っていた種からスタートした
・値崩れを恐れて、紅たでは久宝寺のみで生産された
・農業普及員が持っていた種の一つに若ごぼうの種があり、久宝寺の農家が恩智の親戚に種をあげたことで南高安地域で、生産が盛んになった
・枝豆は茨木市中央卸売市場の初代社長が恩智出身ということもあり、品種改良の要望があった可能性がある(考察)
・恩智いちごは、農業の歴史としては歴史が浅い(そのため情報が薄い)

というような考察と調査ができました。

南高安地域で、若ごぼうの種をもらった方については諸説ありますが、久宝寺との関係性は濃い可能性があります。
つまり、まだ調査すべき点としては

・南高安地域で若ごぼうの種をもらった人は誰か
・恩智いちごの生産が盛んだった時期、なぜいちごを作ろうとしたかの経緯
・枝豆は、一般野菜で全国的に生産されているものだが、なぜ八尾市でも生産がスタートしたのか

というところです。

まだまだ、この農業に関する調査、考察は続きます。最終的に明確性が見えてきたころには、ザックリとした年表が作れたらと思っています。

取材協力者

この企画は、農家であり河内物語の代表である服部充宏さんの協力のもと、進行しています。河内物語では、河内エリアの名産品をまとめた「河内ギフト」、茶吉庵内にある蔵サロンでは直売を行っています。ぜひ、Facebookへアクセスしてみてくださいね。

気ままに取材カテゴリの最新記事