本来であれば通常の記事で、GONGONさんが立ち上げたレーベルGONGONRecordsのバンド「FOOL A MEAN GOES.(フラミンゴーズ)」の復活記事を書こうと思いましたが、復活ライブがあまりにも良すぎたため、私(ジョニー前原)の言葉でそのまま伝えていこうと思います。
もちろん、関係者様と比べると私がかかわらせていただいた時間、内容は薄く、関係者の方々のほうが、さまざまな思い、考えがあるはずであり、私は語るに劣る存在です。ですが「ほんのわずか」でも雲の上の存在だったGONGONさんとかかわることができた思い出、記憶は色濃いものです。そのためあえてタイトルには『薄くて濃い思い出』と冠を付けました。
再度お伝えするとおり、本来であれば「FOOL A MEAN GOES.(フラミンゴーズ)」の復活記事を書く予定をしておりますが、簡単ながらGONGONさんとの出会いにから話していきたいと思います。
代表・ジョニー前原
FOOL A MEAN GOES.(フラミンゴーズ)公式X
インディーズバンドブームに突如現れた異才
私がB-DASHの存在を知ったのは、典型的ですが代表曲である2002年にリリースされた「ちょ」を聴いてからです。
当時私は高校生でした。この時代はインディーズバンドブームでHi-STANDARDを筆頭に、多くのインディーズバンドが登場していました。
時代的に音楽を知る機会があったとすれば、友人の紹介、FMラジオ放送、ケーブルテレビ(当時ならスペースシャワーTVなど)、レコード店(私はタワーレコード派でした)などで発信されていた情報をもとにしていました。B-DASHの場合は、記憶がある限りケーブルテレビのMV紹介だった気がします。
この時代は、とにかくメロディックパンク、メロディックハードコア、ポップパンクなどが流行っていたので、基本的に「英歌詞」が多かったのを記憶しています。私はよく洋楽と言い分けるために「英歌詞バンド」と適当なことを言っていたのを覚えています。
そんな英歌詞がとにかく流行っていた中で、突然B-DASHが現れ、めちゃくちゃ語、でたらめな言葉で歌唱するというのは衝撃的でした。
メロディアスな音楽に意味不明な言葉、なんとなく英語っぽく聴こえるのが楽しかったのを覚えています。
本人を初めて見たのはもちろんライブで
私は数多くライブに行くタイプではなかったので、単発でちょこちょこ行く程度でした。一時期一番はまったのが、大阪ミナミはアメリカ村を中心に開催されるフェス「ミナミホイール」で、記憶違いでなければ3年連続、行っていたと思います。
その時(間違いでなければシークレットゲスト)初めて、B-DASHのライブを見て楽しんだのを覚えています。2002年のサンホールに出演していました。観客席から見て右手にGONGONさんが立っていました(その時坊主だったかも)。
1度のライブしか見ていませんが、私の性格上、1度で大満足してしまうタイプだったので、その時は「見れてよかった!そこそこ前で見られたからボーカルの顔から足のつま先まで全部見れて、結構ラッキーかも」という気分で限られた時間内をしっかり楽しんでいました。
大人になって遠のくライブ観戦・音楽離れ
大学生まではちょこちょこですが、インディーズバンドのライブやメジャーなライブは行っていましたが、大人になるにつれてやはり遠のくものでした。
ただ、意外にもB-DASHネタで盛り上がっていたのは記憶にあるのです。ギターなど楽器が得意な同級生に初めてベースの弾き方を教えてもらったのは、B-DASHの「ちょ」でした。「コード進行が簡単だから、覚えやすいよ」なんて言って教えてもらったものです。人生初めての弾き語りは「ちょ」のベースでした。
カラオケに行って適当に曲を入れても歌えたりしたので、意外とちゃんと聴いてて身に染みてるんだと実感したこともあります。
ただ、先述のとおり、大人になると社会で生きていくのに必死になって、B-DASHの存在はどんどん思い出として、閉じていくようにはなりました。
再燃・GONGONの存在を知りテンションが上がる
突然、B-DASH、GONGONさんへの興味が再燃したのは約5年前です。
最近ではYouTubeでダラダラと動画を見るのが当たり前になっていますが、例にもれず私も動画をよく見ており、ある日おすすめにこんな動画が出てきたのです。
2017年にはB-DASHは解散しており、その事実も知っていた分、動画とはいえ「生身のGONGONが映っている!」と衝撃が走りました。この瞬間サンホールで見たGONGONさんの記憶がよみがえりました。
その衝撃が私を突き動かし、GONGONさんご本人じゃなくてもGONGON関連で何かしらでつながりたい、という思いが強くなりました。

GONGON Records公式X


